ふぐ

ふぐ

「ふぐは食いたし命は惜しし」のことわざがあるように、おいしいが命がけで食する食材はそうはないでしょう。ましてや調理するのに専門の資格がいるのですから。その「ふぐ」にまつわる歴史や毒性、名前の由来や栄養について豆知識を紹介します。

1. ふぐ食の歴史

ふぐは、古くから食べられており、縄文時代の貝塚から多数の骨が発見されています。
しかし、朝鮮出兵の文禄・慶長の役(1592~1598)の時、途中立ち寄った下関辺りで、ふぐを食べたため、多くの兵が亡くなりました。そこで、豊臣秀吉は、「河豚食用禁止の令」を出しました。
江戸時代もそれは続き、毛利藩ではふぐを食べて死人が出たら、お家断絶などという厳しいおきてがありました。
しかし、庶民の間ではかなりふぐは食べられていたようで、元禄、文化文政時代になると武家社会にも広まっていきました。俳人小林一茶は、「河豚食わぬ奴には見せな不二の山」や「五十にして鰒の味を知る夜かな」と、ふぐを好んだ句を詠んでいます。
明治時代に入っても、政府がふぐ食用の禁止の法律を公布していたため一般に流通することはありませんでした。しかし、初代総理大臣伊藤博文が1888年に下関の料亭を訪れた際、シケのため出す魚が獲れなく、仕方なくふぐの料理を出したところ大変感激し、それがきっかけで山口県に限って解禁されたといわれています。

2. ふぐの毒について

ふぐは昔から「あたると死ぬ」というところから、特に関西では鉄砲になぞらえ、ふぐの刺身を「てっさ」、ふぐの鍋のことを「てっちり」と呼びます。この死に至らしめるのはテトロドトキシンという毒です。この毒は神経をマヒさせるため、呼吸が困難となり死に至ります。
ふぐには毒性があることから、種類によって食用の可否が決められています。例えば、トラフグなら内臓は食べられませんが、身と皮と白子(精巣)は食べることができます。この毒はふぐ自身が作っているのではなく、ふぐが食べるえさの中のバクテリアを体内に摂取することで生成されています。

3. ふぐの名前の由来

古来、日本ではふぐのことを、布久(ふく)とか布久閉(ふくへ)などと呼ばれていました。江戸時代には、ふく、ふぐ、ふくべ、ふくへ、ふくとう、などと呼ばれていました。これは腹をふくらます、ふくるるから由来しています。
現在、標準語では、ふぐといいますが、下関などでは、ふぐと濁らずに、ふくといいます。ふくは福に通じ、縁起を担いだ呼び方となっています。

4. ふぐの栄養

ふぐは高タンパク質・低脂肪で健康的な食べ物です。ふぐのたんぱく質はゼラチンを多く含み、コラーゲンの塊といえます。特に皮の部分に多くのコラーゲンを含み、栄養と健康には最適なものといえます。脂肪はほとんどゼロで太り過ぎや生活習慣病など気にする人には、この上ない食べ物といえます。

協力 : 下関ふく連盟
     全国漁業協同組合連合会