牛乳
明治期になり、日本の社会は大きく変わりました。食生活では、牛鍋をはじめ肉食が庶民に普及し始めたのも明治期からです。実は、今回ご紹介する牛乳も庶民に普及したのは明治期からです。ローカロリーで必要な栄養素をバランスよく補うことができる牛乳の豆知識をお届けしましょう。
1.1万年前から動物のミルクを利用
人間が他の動物のミルクを利用し始めたのは、今から、およそ1万年前。ホモ=サピエンスという私たちの祖先が羊か山羊を、肉を獲得するために家畜化して、やがてミルクを利用し始めたといわれています。
牛の家畜化は、8500年くらい前に中東(トルコなど)から始まったと考えられています。6500年くらい前には、牛に犂(すき)を引かせる農耕方法が誕生して、肉や牛乳・皮などを生産していた家畜の牛が、労働力として農業の生産力を向上させるのに役立つようになりました。
しかし、気温の高い中近東やインドなどの地域では、ミルクは腐りやすく、最初は神への捧げものになり、そして、王族や貴族の限られた貴重な飲料だったといわれています。ただ、アラブ系の遊牧民の場合は、羊を殺さずに栄養価の高い羊のミルクだけ利用することを、長い遊牧生活から自然に発見したといわれています。乳脂肪のクリームはバターに、残った脱脂乳は自然に乳酸発酵させたヨーグルトに、そしてチーズの原型になった固い保存食の「ジャミード」などに活用しました。このミルク文化は、西アジアの広大な草原で遊牧民によって生まれ、現在でも続いています。
その後、牧畜の発展とともに、ヨーロッパ、アフリカ南部、インドへとミルクの利用は次第に広がっていったのです。
2.日本で一般に販売されたのは、明治期から
日本人が牛乳を飲むようになった飛鳥時代には、貴族など特別な階級の人々の間で利用されていただけでした。江戸時代末期になると、乳牛を飼い、搾った乳を売る人が出始めましたが、一般に販売されたのは、明治の文明開化からです。
大きなブリキの輸送缶で牛乳を運んで、柄杓で5勺(90ml)ずつ量って売られていました。明治10年頃には、小型(一合=180ml)のブリキ缶入り牛乳をかごに入れて天秤棒でかついで配達していました。
瀬戸物のびんが使われたこともありましたが、明治21年頃に東京の牛乳店が初めてガラスびんを採用し、38年頃までには、ほとんどがガラスびん入りになりました。決まった形はなく、色つきや細口もありました。大正時代には王冠栓が広まったようです。
その後、牛乳の製造や販売についての法律が整い、昭和3年、無色透明の広口びんで紙キャップをすることに統一されました。これが今も使われている牛乳びんの始まりです。
3.牛乳は高カルシウム食品ではない?
日本は火山国のため土壌が酸性で、ミネラルの含有量が欧米の半分程度といわれており、水やそこで育つ野菜に含まれるカルシウム量も少なくなっています。したがって、カルシウムは毎日の食事で意識的にとらないとすぐ不足してしまうのです。
実は、「日本食品標準成分表2015」をみると、牛乳よりもカルシウムが多く含まれる食品がたくさんありますが、1食分に換算すると牛乳は「ダントツ1位」です(下表)。
含有量(100g中) | 1食分 | 含有量(1食分中) | |
---|---|---|---|
普通牛乳 | 110mg | 206g | 227mg |
しらす干し | 210mg | 5g | 11mg |
サクラエビ | 2000mg | 5g | 100mg |
マイワシ | 74mg | 60g | 45mg |
干しヒジキ | 1000mg | 8g | 80mg |
小松菜 | 170mg | 80g | 136mg |
文部科学省「日本食品標準成分表2015」より作成
カルシウムは食べた量がすべて体に吸収されるわけではなく、吸収率は食品によって異なります。牛乳のカルシウム吸収率は40%と非常に高く、小魚は33%、小松菜などの野菜類は19%です。調理をしなくてもそのまま摂取できる手軽さも考え合わせると、カルシウム補給源として牛乳は非常に優れた食品といえるでしょう。
4.牛乳を飲むとお腹がゴロゴロ
牛乳を飲むとお腹がゴロゴロする、下痢をするなどの不快症状が現れる人がいます。この不快症状が現れることを「乳糖不耐」といいます。
そのような人にお勧めの飲み方に次の方法があります。
- 数回に分けて飲む
- 温めてゆっくり飲む
- 毎日飲む習慣をつける
- 料理にプラスする
- 代わりにヨーグルトやチーズを食べる。
健康や美容にもうれしい牛乳です。今日からみなさんもいかがですか。
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