パラリンピック
残念ながら東京オリンピック・パラリンピックは来年に延期となってしまいました。近代オリンピックの始まりは1896年のアテネ大会ですが、パラリンピックはいつ、どのように始まったかご存知でしょうか。今回はパラリンピックについての豆知識をご紹介します
1.パラリンピック
パラリンピックは世界最高峰の障がい者スポーツ大会であり、トップアスリートが高いパフォーマンスを競う世界的なイベントです。オリンピックと同じく夏季大会、冬季大会がそれぞれ4年に1度、オリンピックの終了後に同じ場所で開催されます。
リオ2016パラリンピックでは、159カ国・地域から、4,333人の選手が参加。カヌーとトライアスロンが新競技として追加され、22競技・528種目でメダルを競いました。日本からは選手132人が参加し、銀メダル10個、銅メダル14個を獲得しました。
2.パラリンピックの歴史
パラリンピックの原点は、第二次世界大戦(1939~1945年)後にさかのぼります。戦争で負傷した兵士の治療と社会復帰を目的としたイギリス・ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院の医師ルードヴィッヒ・グットマン卿により、1948年ロンドンオリンピック開会式に合わせて、院内で16人の車いす患者によるアーチェリー大会を開催したことが始まりとされています。当初は純然たる入院患者のみの大会でしたが、1952年から国際大会となり毎年開催され続けました。
1960年ローマオリンピックの同年に、ローマで行われた大会(第9回ストーク・マンデビル大会)を、のちに第1回パラリンピックと位置づけ、1964年東京大会(第13回国際ストーク・マンデビル競技大会)が第2回パラリンピックとなり、以後はオリンピックと同じ4年ごとに開催されています。1964年東京大会には21カ国から378人の選手が参加しました。
国際身体障がい者スポーツ大会をオリンピック開催都市と同一都市で行う方式は、東京大会後は定着せず、別都市での開催となっていましたが、夏季大会では1988年のソウルから、冬季大会では1992年のアルベールビル大会から、オリンピック開催都市と同一都市開催となっています。
3.名称の由来
「パラリンピック(Paralympic Games)」が正式名称になったのは、1988年のソウル大会からです。現在はギリシャ語のパラ=Para(沿う、平行)+ Olympic(オリンピック)とし、もう一つのオリンピックとして解釈されています。
当初、「パラリンピック」は「オリンピック開催年にオリンピック開催国で行われる国際ストーク・マンデビル大会」=「Paraplegia(脊髄損傷等による下半身まひ者)」の「Olympic」=「Paralympic」という発想から、1964年東京大会の際に日本で名づけられた愛称でしたが、1985年、IOC(国際オリンピック委員会)はオリンピック年に開催する国際身体障がい者スポーツ大会を「Paralympic(パラリンピック)」と名乗ることを正式に認めました。
名称の由来についても、この時、すでに下半身まひ者以外の身体障がい者も参加する大会となっていたことから、現在の解釈へと変わりました。
4.東京パラリンピックの実施競技
東京大会から新たにバドミントンとテコンドーが新競技として採用され、以下の22競技(539種目)の実施が予定されています。
- 陸上競技
- 水泳
- 車いすテニス
- 車いすバスケットボール
- 車いすラグビー
- 5人制サッカー
- ゴールボール
- シッティングバレーボール
- 卓球
- バドミントン
- ボッチャ
- 車いすフェンシング
- 柔道
- テコンドー
- アーチェリー
- カヌー
- 自転車
- 射撃
- トライアスロン
- 馬術
- パワーリフティング
- ボート
4.パラリンピックの意義
さまざまな障がいのあるアスリートたちが創意工夫を凝らして限界に挑むパラリンピックは、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場です。すなわち、共生社会を具現化するための重要なヒントが詰まっている大会です。また、社会の中にあるバリアを減らしていくことの必要性や、発想の転換が必要であることにも気づかせてくれます。
障がいというマイナスの感情に向き合い、それを乗り越えようとする精神力や、困難があっても諦めず限界を突破しようとする強い意志の力が、わたしたちに感動を与えてくれることでしょう。
協力:日本パラリンピック委員会
住所:東京都中央区日本橋蛎殻町2丁目13−6 ユニゾ水天宮ビル3F
HP:https://www.jsad.or.jp/paralympic/